引用箇所は赤太字、下線部分

1989年4月7日 
赤旗記事

少年の両親は、弁護士を通じて「被害者のご家族に対して心から申し訳なく償い切
れない思いで、自分たちができることは、被害者にたいしても、社会にたいしてもなん
でもやるという心境です」
とのべています。
 両親は、党員でしたが、事件後、本人の希望にもとづき日本共産党を離党しています。

1989年4月30日(水)「赤旗日曜版」
女子高生監禁殺人事件を考える

深い子育て、
−−−−−−
教育への悩み
C もちろん、親の責任はあるだろう。監禁場所となった少年Cの両親は、担
当弁護士を通じて涙ながらにのべている。
 「償いのしようがありません。いまできる謝罪は、捜査に全面協力することで
す」 「遺族の方のお許しがあれば、すぐにでもおわびにいきたい」「賠償金など
ですむことではありませんが、裸になってでもやって行きたい」と

 B 父親は事件後仕事をやめ、持病の心臓病に苦しんでおり、母親も仕事をや
めているという。

1989年5月20日(土)「赤旗」
追跡女子高生監禁殺害事件 《1》
行の芽つみとる
  具体的処置なく

 非行グループのたまり場となっていることを知りながら、非行の芽を摘み取る
具体的処置は取れませんでした。女の子や他の子の親とも連絡をとり、親同士で
対処する努力が必要でした。この時期、一切を母親まかせにしていた父親の責
任も厳しく問われます。
 許せぬことには、一歩も引かず、きぜんとし立ち向かう親の姿勢があれば、最
悪の結末だけは避けられたはずでした。
 Cの両親は事件後、弁護士を通じて 「被害者の両親にはおわびのしようがな
く、償いようがありません。深く反省しています。…賠償金などで済むような
ことではありませんが、事件の現場となった家と土地を売って、裸になってでも
やっていく覚悟です」と語り
、眠れぬ夜を過ごしているといいます。魔の四十日
間への認識、対応の甘さが招いた結果はあまりにも重大でした。